retirement

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“プロバスケットボール選手”

小学校の卒業アルバムにそう書いた日の10年後。

 

アメリカLAのロングビーチというところで

NBAの殿堂入りプレイヤーNate “Tiny” Archibaldに

契約書を手渡され、突如目の前にプロの道が開けた。

 

思わぬ形で実現したこのアメリカンドリーム。

不退転の決心を持って勝負に臨んだつもり。

それでも1R開始数秒でKOされ、あっという間に解雇。

 

痛みとともに決意と覚悟の甘さを思い知らされた

その瞬間こそが、

自分のプロキャリアのスタート地点だった…

 

そこからは下手であろうが馬鹿であろうが

とにかく前へ。

どんなペースであれ立ち止まらず

愚直なまでに歩みを続けた。

ずっと背負いたかったはずの憧れの看板。

その重みに何度も負けそうになりながら。

 

少しだけ歩調をゆるめたり、突っ走ってみたり、

ヨチヨチ歩いたり。

穴ぼこに落っこちて

キャリアを失いかけたことも何度かある。

ときに痛めた体を引きずりながら、

一人の男が行きつ戻りつ何かを叫んでいる。

他人の目にはその姿が

どれほどマヌケに映ったことだろう。

 

「プロってなんなのだろう?」

 

辛い練習をしながら、重いウェイトを担ぎながら、

本気で試合をしながらずーっと考えてきた。

 

子供の頃になんとなくイメージしたプロ像は、

「他人の持っていない技術・技量・表現で

まわりを安心させることのできる人」

その“安心”というところから

いつまで経っても遠い場所にいる自分。

 

はっきりとした答えは見つからぬまま

気づけば13年もの月日が流れていた。

そして、ついに“終り”のときもやってきた。

自らの手でこの歩みに終止符を打つときが。

 

プロ生活13年。

 

勝つこともたくさんあったけど、

負けてばっかりの方がはるかに多かった。

後ろに何一つ道も作れなかった。

 

けれど、

どんな道であれ自分の歩みたい道を

歩むことの大切さには確信が持てた。

人生においてそれが如何に大切なことか。

全身全霊をコートに捧げることができたのは、

それが自分で選んだ道だったから。

 

人間の芯からあふれ出してくる感情には表情がある。

これまでコート上のぼくを本気で追っかけて

応援してくれたファンの皆さんは、

きっとぼくの表情からこの想いを

感じ取ってくれたんじゃないかと思う。

 

これと言って大したものは残せなかったけれど、

それでも。

ぼく程度の選手にしては”出来過ぎた13年間”でした。

 

最後になりますが、

これまでプロバスケットボール選手中川和之を

応援してくださった皆さん、

顔の下半分がヒゲに埋もれたヘッドバンド坊主は、

現役を引退します。

 

今まで本当にありがとうございました。

        夢 感謝

         2018年2月7日 中川和之 #10